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名古屋高等裁判所 平成11年(ラ)47号 決定

抗告人 X

相手方 Y1

Y2

Y3

Y4

主文

一  原審判を取り消す。

二  本件を名古屋家庭裁判所に差し戻す。

理由

一  本件抗告の趣旨及び理由は、別紙「家事審判調停申立書」と題する書面写しのとおりであり、その理由の要旨は、(1)原審判理由5に記載の遺産配分比率は強引に合意させられた、(2)昭和35年に母が死亡した後、長期間父の面倒を見てきた、(3)長男として全力で一家を支えてきた抗告人の遺産分配比率は8分の3が妥当である、というものである。

二  一件記録によれば、以下の事実を認めることができる。

1  原審(名古屋家庭裁判所岡崎支部平成×年(家イ)第×××号事件)における第4回調停期日において、当事者間で遺産配分比率について抗告人84分の24等とし、鑑定費用は抗告人が代表して予納したうえ右遺産配分比率に応じて各自が負担する旨の中間合意がなされ、鑑定に着手した。

2  鑑定書提出後の第5回調停期日には、当事者間で遺産配分比率について抗告人が84分の23、相手方Y1が84分の21、相手方Y2が84分の12、相手方Y3が84分の10、相手方Y4が84分の18と変更する合意(以下「本件遺産配分比率の合意」という。)がなされた。さらに、第8回調停期日において、各自が取得すべき遺産について、本件遺産配分比率の合意に沿って、原審判主文と同旨の具体的な話合いがなされた。その後、抗告人において右取得予定財産の額と抗告人の遺産配分比率に基づく金額との差額(代償金)約400万円を準備するため、調停期日が5回続行されたが、結局第13回調停期日には、抗告人において右代償金の準備ができないため調停不成立となった。

3  平成11年2月15日、相手方Y3を除く各当事者出席の上、第1回審判期日が開かれた。審判調書には、手続が続行となり、次回期日は追って指定とされた旨の記載があるのみで、審判の前提となる事項についての出席当事者の意見や合意の有無等についての記載はない。

4  その後、原審は、続行期日を開くことなく、同月26日、本件遺産配分比率の合意を前提とする審判をした。本件について、家庭裁判所調査官の調査は行われておらず、また、遺産形成に対する抗告人の寄与に関し、当事者の具体的な陳述やその裏付け証拠等は十分ではない。

三  遺産分割手続において、当事者が任意に処分できる事項について、当事者全員の合意がある場合には、これを前提として審判をするも相当と解される。そうして、本件のように、合意が、遺産配分比率、即ち具体的相続分の比率であっても同様に解される。しかしながら、調停期日において右合意がされたからと言って、調停不成立によって審判に移行した場合に、職権探知主義を旨とする家事審判手続においては、これを直ちに審判の前提としてよいものと解することはできない。即ち、当事者全員が、審判期日において、なお、その合意を維持する場合には、合意に相当性がない等の特段の事情がないかぎり、合意を前提に審判をすることができるが、一部当事者が調停期日での合意を審判に用いることに賛成しない場合は、合意内容の相当性に関する審理を要するのである。

これを本件についてみるに、まず、本件の審判調書の記載内容に照らし、調停期日における本件遺産配分比率の合意を、当事者全員が審判期日において維持していたと認定することはできない。また、抗告人が審判手続において本件遺産配分比率の合意に相当性がないことを主張立証する機会を十分に与えられたと認定することもできない。従って、本件抗告は、爾余の点につき判断するまでもなく、理由がある。

四  結論

よって、原審判は相当ではないから、これを取り消し、合意の有無等事実関係を審理させるため、本件を名古屋家庭裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 笹本渟子 裁判官 鏑木重明 戸田久)

(別紙) 家事審判調停申立書

申立ての趣旨

名古屋家庭裁判所岡崎支部平成10年(家)第1072号遺産分割申立事件の平成11年2月26日付けの審判は、これを取り消し、本件を名古屋家庭裁判所岡崎支部に差し戻すとの裁判を求めます。

申立ての実情

1 原審判は、5当事者間では、各自の遺産配分比率について申立人Xが84分の23、相手方Y1が84分の21、相手方Y2が84分の12、相手方Y3が84分の10、相手方Y4が84分の18と合意した。この件についてですが、確かに合意しましたと言うより強引に合意させられました。

2 わが家は約1町歩たらずの農家でした。この程度の農地では一家を支える事は難しく、当時私は高校を卒業し家電店に勤めて居ました。一年程した頃父が足に大怪我をして仕事が出来なくなりました。それで私が呼び戻され農業をしていました。その頃父母から家電店を開業してはとの話が有り、私もこの仕事は好きでしたから同意しました。但し私は言葉が不自由であり営業関係は出来ないと言うと母が営業は私に任せろと言うことで母と二人で始めました。32年10月所が一年位たった頃から母の体調がおかしくなり子宮癌で35年12月に死にました。翌36年4月結婚一家7人(私、妻、父、祖母、Y1、Y3、Y4)の生活が私の肩にかかって来たのです(父は母にしなれてあまり頼りに成らない状態でした)。夫婦二人だけの生活ならばサラリーマンに戻ることも出来たのですが当時のサラリーマンの収入では一家7人の生活はとても支える事は出来ず、せっかく始めた店でもあったし、何とか頑張ってみようと決意しました。しかし技術屋の私には営業はうまくいかず生活費のため借金が溜まるばかりでした。その後その借金のため父とは喧嘩別れ(借金だけ残されて)、父の再婚、一年後離婚、その後Y1が父と同居、しかし残念ながら7年位で喧嘩別れ、その後事実上私が父の面倒を見て来ました。このように長男として生まれたからには一家を支えて行くのはあたりまえと思ってやって来たのに父の死後この様な仕打ちをされるとは、とても納得出来ません。

3 親の足りない所は全て長男が補うものとして全力で一家を支えて来た私としては承服しかねます、私としては3、2、1、1、1、位がだとうではないかと考えて居ます、よって即時抗告の申し立てをします。なお、3、2、1、1、1、は、私X・3、Y1・2、Y2・1、Y3・1、Y4・1です。

以上

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